PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

写真のチカラ

私は作品として写真を撮ったことがない。
こういう写真を撮ろうと思って撮った事も数える程しかない。
つまりは偶然の一瞬にたまたまシャッターを切る指が反応し、そして運良くカメラの設定もちょうど心地よかったと言う、ある意味願ったり叶ったり的な写真なのかもしれない。

結婚式でも七五三でも、完全に止まってじっくり調整しながら撮れるのは記念撮影くらいなものだ。
それ以外は全てが時間と共に流れている。
ヒトも感情と共に動いていく。
そんな状況の中で、偶然の出会いや一瞬の出会いを求めている気がするのである。


どんな撮影でも、撮影前に必ず心の中で願うのである。
神社などではお賽銭入れて「どうか…」と願う時もある。
そんな時は「どうか失敗しませんように、、」ではない。
「どうか降りてきますように、、」と。
写真の神様的存在のヒトが、そんな偶然をちゃんといいタイミングで出くわしてくれる。そういった意味合いの願いである。
他力本願で弱気な願いのように聞こえるかもしれないが、要は偶然を偶然にもタイミングよく出会えるのは、やはり自分ではどうする事もできないと思う。
だから願うしかないのだ。
写真の神様の存在の有無は存じ上げぬが、やはりそこは凡人として願い、祈り、思い、信じるしかないのだ。

偶然だもの。。。

そしてそんな偶然とタイミングよく出会う。
シャッターを切る。
感謝。。。

だから私の写真には写真力はない。
そんな一瞬の写真に、見るヒトの想いや感情が注ぐ込まれ、はじめて少しの力を備えはじめるんじゃないだろうかと思う。
これまた他力本願なのかもしれない。
でもそれでいいと思う。
邪魔なく思い出の隅っこに貼り付いて、時折その思い出が顔を出すきっかけの1枚であれば。
そしてその1枚にあの時の事、あれからの事、これからの事がその時々で注ぎ込まれていく。
思い出でありながら成長する写真とでも言いましょうか。。。

それが私の思う「写真力」のない私の写真のチカラなんじゃないかと。

DSC06030.jpg


篠山紀信展 「写真力」

その「写真力」に腰が抜けた私である。。。
スポンサーサイト

| 東京 日誌 | 23:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://sotobo99.blog116.fc2.com/tb.php/1683-7f60c917

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。